oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

【番外】スリランカの少女が父に語るブッダの教え(1)

おおー、と思ったお話がありました。

自我と有身見についてスリランカの少女が語ります、お話というか、これは仏弟子に語る法話ですね。

 

仏教を知らない方なら、「なぜ幼児が仏教を語るの?」と不思議がるかもしれませんけど、仏教を学ぶと、これはあり得る話だし、なんの不思議もありません、むしろ仏教の大先輩のお話が聞けて嬉しいです。

 

むしろ、お坊様のワンパターンな法話より、少ない語彙を工夫したお話のほうが頭に入りやすいかも・・。

 

 

 

下記のリンクにあります。

4話ありますね。

j-theravada.net

 

下記を読みます。

j-theravada.net

 

 

引用

父:うん、うん。だから、一つが現れたら消えてもう一つが現れる……ちょっとわからないなぁ。もうちょっと説明できない?

子:だから……私が「ベッド」と言うと、言ったあとにある「思考」が生まれて、また「屋根」と言うと、言ったあとにある「思考」が生まれて、また「鏡」と言えば、別の「思考」が入ってきます。一瞬に心の中には一つの「思考」しかありません。

父:ああ、○○ちゃんが言うのは、一瞬に心の中にある一つの「思考」しかなくて、別のことを言うと、前の思考が消えて、また別の「思考」が新たに現れて(生まれて)くるということだね?

 

眼(ルーパ)で見て、ベッド(ルーパ)と認識(ナーマ)して・・・というかこれだけですね。

で、消えて、次は

眼(ルーパ)で見て、屋根(ルーパ)と認識(ナーマ)して・・・これだけです。

 

我々はこれを繰り返しているだけです。

で、とりあえず世間的には「ベッド」と「屋根」という呼称がついているので、世間的な認識をやっているだけです、これだけですね。

 

で、認識のお話が続きます。

引用

父:ということは、○○ちゃんが言うのは、この私たちが目にする、耳にする全てのものが思考ということですか?

子:そうです。

父:そしたら、○○ちゃんは、なぜ「お父さん、お母さん」というのも「思考」というの?

子:私はお父さんを「お父さん」と呼びます、でも私のお母さんは貴方(お父さん)のことを「お~い(あなた)」と呼びます。そして、お爺ちゃんおばあちゃんはお父さんのこと「長男」と呼びます。その他の親戚や近所のおばさんは、お父さんのことを「お兄さん」と呼んだりもします。 

父:そうですね。だからそれは……?

子:だから、あるたった一人の人(同一人物)に、いろいろな人がいろいろな名前を作っている……

父:ああ、○○ちゃんが言うことは、ある一人の人に対していろいろな人がいろいろな「思考」でもって、いろいろな名前を付けているということですか? それぞれの人がそれぞれの「思考」でもって、勝手な思考で名前を付けているということですね?

 

うむむ、人間の認識なんて、けっこういい加減なものなんだな、とわかります。

元々いい加減な認識しかしてないのですから「自分が正しい」なんて成り立つわけないですね。

 

さて、次は「私の身体」のお話ですね。

引用

子:お父さ~ん、サッカーヤディッティ〔を無くす〕というのは、私たちの(この体に)実際に、この「私」というものが何もないということを理解することです。

父:でも、でも、「私」というのがいないと言っても、今はこの「私は」しゃべっているし、さっきご飯も食べたし、私は笑うし、今ここにいるでしょう? どうやって「私」はいないの? どうやって私はいないと知ればいいの?

子:じゃあ、お父さん、お父さんは水を飲まずにいられますか?

父:ちょっとだけはできるけど、ずっとはできないね。

子:じゃあ、ご飯を食べずにいられますか?

父:それも、ちょっとだけなら。ずっと食べないでいれば死んじゃいますね……

子:じゃあ、髪が白くなるのをお父さんは自分で止めることはできますか?

父:それもできませんね、年をとるとどうしても髪が白くなるね……

子:じゃあ、お父さん、年を取らないでいられる?

父:無理ですね

子:じゃあ、呼吸しないでいられる?

父:それも無理だね。呼吸しなかったら死んじゃいますね。

子:じゃあ、死ぬことは止められますか?

父:(笑いながら)無理無理。人はどうしても死ぬ……止めることはできないね。

子:(ニコニコ)じゃあ、病気になることは止められますか?

父:できないですね……

子:それで、この身体はお父さんのなら、「お父さん」なら、お父さんの思い通りに、自由に支配できるはずですよ。

父:ああ、私ならば、私は自由にできるということですね……でも、そうしたら、誰がそういろいろやって支配しているの?

子:その体を支配しているのは「あなた」じゃなくて、「自然」から支配されていて、自然が支配しています。

 

ガーン、ガーン。

そうそう、「身体」を支配しているのは、「自分」じゃなくて「自然」じゃん。

身体を支配している「自分」なんていない、と思い知ります。

て、言うか、「自分」なんていない、思い知ります。

 

で、次は、世間、出世間のお話かなあ、と思います。

 

引用

子:それで、鏡の中の自分が見えるのも目であって、実際に見える自分も目で見える。

父:(お父さん、娘の言葉を復唱)

子:目に見えるもの全て(ルーパー, rūpā)は、幻覚です。

父:それで……

子:それで、(鏡の中を指しながら)これが地・火・風・水でできていて、(自分を指しながら)これも地・火・風・水でできています……

子:(何か説明しようと一生懸命上記を繰り返す)

父:それで、そこから……目で見えるものは全て幻覚で。

子:そうです……目で見えるものは全て幻覚なので、ここにも、ここ(鏡の中)にも「私」というものがないです。

 

鏡の中にいるのは、自分じゃなくて、地、水、火、風で、できているものなんでしょうね、「ん?どこに自分がいますか?幻覚を見てらっしゃるんじゃ??」

 

 

 

 

世間的な語彙に苦労しながら、わかりやく法話を説くこの大先輩に感謝です。