oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

【番外】スリランカの少女が父に語るブッダの教え(3)

ここにあります。

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本文はここにあります。

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「自我」「自分」「私」の由来がわかりますね。

限られた語彙で、説明する様子には頭が下ります。

 

「有身見」のお話です。

 

「有身見」とは

(変わらない)「私」という概念が実体があるものだと顛倒し、身体や心が自分のものだと勘違いしてしまうこと、という意味です。

 

なんで、勘違いを起こしてしまうのか、その説明になります。

 

 

 

まずは、生まれる前のお腹にいるときのお話ですね。

 

 

引用

娘:で、そのおなかの中にいるときにね……あのう、お父さんに質問だけど、おなかの中にいるときに、お父さんは「これは私だ、ここにいるのは私……」というか、ええっと……

 

お腹の中にいるときは、「私」という感覚は無いと思うのですけど、「変わらない自分がある」というのであれば、お腹の中にいるときも「私」というものがなければいけませんね。

 

で、「お腹の中にいるときには何があったの?」という話になりますが、「地水火風」しかないのですね。

 

あるものは「地水火風」のみですね。

 

で、生まれてくるときのお話になります。

引用

娘:では、〔おなかから出て〕生まれてきた瞬間、そこに「自我」、変わらない私と言えるもの(アートマン)はありましたか?

父:(答えに困りながら)う~ん……そのとき、まぁ 「私」はいない(認識はない)けど、でも生まれるときに私たちは、〔一般的に〕「私は」と言う。「私が生まれる」「私がそのとき生まれた」と、普通そのとき言いますから。私の考えは間違い? ちょっとわからないなぁ……。それって、○○ちゃん、何ですか? 教えてくれる?

娘:お父さんは、おなかから出てきて生まれたと思っているでしょう?

父:そうだよ、お母さん(お祖母ちゃん)のおなかから……

娘:はい、これからお父さんに教えてあげます。じゃあ、お父さん、さっきから言っている話だと、おなかから出てくるときにも「私」というものがいなければおかしいでしょう?

 

「自我」があるなら、生まれてくるときにも「私は生まれた」がないとおかしいです、でも生まれたばかりのときは「私」というものは無さそうです。

 

で、なぜ「私」というものが出来上がってくるか?というお話になります。

 

引用

娘:はい、お父さん。私たちは、眼・耳・鼻〔舌・身・意〕を通して「私」を構成しています。

父:もっと詳しく解説してくれる?

娘:〔子供が〕成長する過程で、両親が「そこにいるのは息子だ」、「この人は、息子だ」ということを言っているので、それに少しずつ慣れて、「私」を構成していきます。

父:なるほど! 両親がそのように対応するので、「あっ、ここにいるのは『私』だ」と認識するんですね? それで、あの眼・耳・鼻〔舌・身・意〕から構成するということをもっと説明お願いします。

娘:はい、もう一回解説すると……例えばお父さん、この瞬間に生まれたとしたら、「これは『私』だ」ということはわからないでしょう?

父:はい、それ〔については〕わかりました。

娘:それで、生まれたときになかった「私」が、大きくなっていくと日常〔生活の中〕で両親が「息子」と呼んだり「これはあなただよ」と言ったりすると、「自分」が眼に見えるし、耳に聞こえたりもする。また、心(意)で感じたりもして、それを元に「私」を構成していきます。

父:ああ、それで両親が教えてくれるから「私」を作っていくんだね。お母さんや木、人々、世の中のすべても、私たちが眼・耳・鼻〔舌・身・意〕を使って作っていくものだね。そうすると、その「私」は眼・耳・鼻〔舌・身・意〕からできたということ。○○ちゃんにわかる言葉で、もっと説明できる??

娘:例えば、ある女性が同時に二人の子供を生んだとします。一人の子供を普通に常識的に育てて、教育も与えて、世界各国も回ったりもして大きくなる。もう一人は生まれてすぐに部屋の中で、機械を通じて食事を与えながら世間との関係を完全に遮断させて育てます。

そうやって、部屋の中で育った子供を大きくなったら外に連れて行って、空を見せて、「あれ何ですか?」と訊いても、答えられないでしょう? 何もわからない。でも、普通に育った子供は常識的なことは何でもわかります。そのようなものです。

父;あーなるほど。常識的に育った子には普通の感覚が構成されていても、部屋で育った子には常識的なこと(概念)が構成されてなくて、「私」の概念も〔あえて構成されなければ〕ないということですね? もっと解説してくれるかな?

 

 

バリバリの私見で申し訳ないですけど・・。

 

世俗の仕組みに嵌められて、自我ができていくのですね。

 

世俗の仕組みって、またの名を「文化」とか「伝統」とか言いますけど・・・。

 

親子ってのも、世俗の仕組みの一つですけど。なんていいますか、生まれたり死んだりした本当は「ただの出会い」にすぎないのでしょうけど、でも親子の仕組みがあるから、「私」というものが育っていくのでしょうね。

 

世俗の仕組み、親子の仕組みで、「自分」が形成される感じがわかります。

 

まあ、世俗で生きていくうえでは、便宜的に「私」という概念は必要なので、それはそれでいいですけど、それが基で貪瞋痴を大きくするようなことがあれば、それはそれで要注意だと思います。