理論編では、最初の段階の「預流果、預流道」に達するように奮闘努力をしましょう、というお話でした。
ここからは、最初の段階に達するために何を実践すべきか、具体的なお話になります。
引用します。
ここまでで、六門に連続して生じる、見ること、聞くことなどに気づき、観察し、念ずるというヴィパッサナー瞑想の実践の方法について、既にお話ししました。
しかしながら、続けて生じるすべての出来事を補足することは初心者にとって不可能だと思われます。なぜなら初心者の気づき(サティ)、定(サマーディ)、智はまだ大変弱いからです。
見ること、
聞くこと、
嗅ぐこと、
味わうこと、
触れること、
そして、考えること
は瞬間的に極めて素早く生じます。そのため、私たちは聞くことと同時に見ることが生じるように、見ることと同時に聞くことが生じ、見ることと聞くことが同時に生じるように感じます。
見ること、
聞くこと、
考えること、
妄想すること、
などが常に生じるように感じられるのです。それらは大変速く生じるため、最初に生じたものと、次に生じたものを見分けることはまったく不可能なのです。
気づき、観察し、念ずるのが基本ですけど、ふだんの生活ではまったくそのようなことは気にしないで過ごしてします。
見てはいろいろ妄想し、聞いてはいろいろ妄想し、考えると称して結局、妄想し。
妄想だらけの日常生活ですね。
考えや妄想に振り回されると、気づき、観察、念じるなんて吹っ飛んでしまいますね。
ここでは、気づき(サティ)、定(サマーディ)、智、が弱いと、認知するものは全て同時に起こっていると感じるのですね。
例えば、人と会話をしているとき、相手の表情と発する言葉が同時に生じているように認知しているように思えます。
でも、違うのですね、「見ること」「聞くこと」が別々に生じているのですね、そのスピードが速すぎるので、同時に生じているように感じてしまう。
変な話、パソコンのCPUが高速でタスクを処理する話を連想してしまいました。
過去にも書いてました。
上記は、人間には一度に一つのことしかできない、というお話でしたけど・・。
ひとつのCPUでは、ひとつのタスクにしか処理できないのですね。
引用
ウイッキ引用
ひとつのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間にはひとつの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間でひとつのCPUを順に使い回すことによって、ユーザーから見ると、複数のアプリケーション(タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。
なんていいますか、瞑想の達人になると、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れること、考えることが、パソコンのCPUの処理みたいに明確に一度にひとつのことが生じていると気づくことができるのでしょう。
私のポンコツCPUは、いまだに同時に生じているように錯覚してます。
で、マハーシ長老は六門のうち、よく生じるものをピックアップしてます。
「見ること」
「聞くこと」
「考えること」
「妄想すること」
仏教上では6つありますけど、日常生活でよくあるのは、上記の4つでしょう。
この4つに振り回されて生きてます。
とくに「妄想」なんて、大部分を占めているかも・・。
とりあえず日常生活では6つと言わず、よくある4つに気づいて過ごしてみたらどうでしょうか?
ほとんど「妄想」に気づくことが多いような気がします、というか、たいてい妄想しているときは気づきが伴っていませんので、妄想に気づきが追いついた時点でラッキーなのでしょうね。
六門をきちんと分離できない自分のCPUはかなりポンコツだと気づかせてくれる本です。