引用
通常、私たちが座っているときには、精神的な活動の連続からなる意識によって引き起こされた、物理的な活動の連続によって、まっすぐな姿勢をしています。これは、内部の空気の抵抗によって丸く保たれた、ふくらんだゴムのボールのようなものです。このゴムのボールと同じように、物質的な活動の連続的なプロセスの結果として、私たちが座っているときには、身体はまっすぐな姿勢に保たれています。
上記は座っている状態の説明です。
後から述べられますが、地水火風の「風」の話になります。
下記の本にヒントがありました。
人間の姿勢は、「精神的な活動の連続からなる意識」によって保たれています。
身体を認識することによって、物理的な活動が生じ、姿勢を保っているのですね。
で、人間の身体をゴムボールに例えています。
で、「風」の性質で身体の説明をします。
アビダンマ上の意味は、「風」→移動させる性質、支える性質
上記の本より引用
スポンジでも風船でも持って押さえると、つまり身体から地のエネルギーをスポンジにあてると、スポンジは逆に風のエネルギーを出して押さえるエネルギーに対抗します。それも頭でわかります。物理学でいう作用に対する反作用ですが、そこには引き離す風のエネルギーがあると、意、こころでわかります。
ただ、これではちょっとわかりにくい部分があるかもしれないので、マハーシ長老は現代医学というか、人間の身体の構造に沿ったお話をします。
私たちの身体のような重いものを引っ張り上げ、まっすぐな姿勢に保つには、大量のエネルギーが必要です、世間の人々は、普通、身体は腱によって支えられ、まっすぐな姿勢に保たれていると思っています。このように考えることはある意味正しいのです。なぜなら腱、血、肉、骨といったものは色(ルーパ)以外の何物でもありませんから。私たちの身体を、背筋を伸ばした姿勢に保つ支える要素は色(ルーパ)のグループに属し、ゴムのボールのように腱、肉、骨など身体の至るところに生じています。
そうですね、身体の要素は「色」のグループになります。
ゴムボール、もしくはスポンジ、もしくは風船の中の空気みたいに、この身体の要素はあるのですね。
この支える要素の説明になります。
引用
この支える要素はアビダンマにおいて風の要素として定義されます。私たちの身体は風邪の要素により継続的に生み出される支持力によって、直立した姿勢を保ち続けています。けれども、私たちが眠くなったり、うとうとしたときは、床に崩れ落ちてしまうことがあるかもしれません。なぜかと言うと、そのときは支持力を生み出すための新しい色(ルーパ)の供給が途切れてしまっているからなのです。
うむむ、ここまで書いてしまって、身体の各部品は「ある」というのはわかりますけど、風の要素って実在というか、実感ってできるのかしら?と思ったりします。
個人の感想で恐縮ですが、なんていいますか、身体のい各部品や風の要素は、「心の認識」程度に留めておいて、本来の仕事である気づきや瞑想実践をするべきだと思います。
実際、心の認識が途切れて、観察や瞑想を怠ると、すなわち「眠たい」ということで崩れ落ちてしまうことになりますから・・。
心の認識が途切れると、姿勢を保つための色の供給も途切れてしまうような気がします。
私自身はこのくらいの理解の留めておきます。
薄い本ですけど、まだまだ先は長いので・・・。
薄いけど、内容の濃い本です。