oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

033【座る瞑想】 第二部 実践編『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

瞑想しているとき眠くなってしまうことがあります、私もあります。

 

これってどういう状態なのでしょうか?

 

引用

(前略)

けれども、私たちが眠くなったり、うとうとしたときには、床に崩れ落ちてしまうことがあるかもしれません。なぜかというと、そのときは支持力を生み出すための新しい色(ルーパ)の供給が途切れてしまっているからなのです。

強い眠気や、実際に眠ってしまうときの心の状態を有分心といいます。有分心の間、路心の活動は不在になります。そのため、私たちが強い眠気に襲われたり、実際に眠っているとき、その身体は床に横たわったものになるのです。

 

おおー「有分心」と「路心」という言葉が出てきました、せっかくですから復習します。

 

巻末の用語解説を読みます。

 

路心

結生心、有分心、死心以外の六門により心の流れ

 

有分心

路心が途切れても、そこで生が途切れずに心の流れを繋ぎ続ける心。過去の業の結果の異熟心。

 

 

依然、マンゴーの例えで「路」の勉強をしたことがあります。

 

復習です。

 

人がマンゴーの木の下で頭を覆って眠って臥して眠っているときに

【有分 潜在的な心の流れ 離路】

 

熟したマンゴーが枝から落ち音がする

【所縁が五門にあらわれる】

 

その人は音で目を覚ましマンゴーを見る

【眼識などの動き】

 

手を伸ばしてマンゴーを取る

【領受 所縁を受け取る】

 

熟しているか調べる

【推度 所縁を調べる】

 

熟していると判断する

【確定 所縁を確定する】

 

食べる

【速行 所縁を味わう】

 

口に残った唾液を飲み込む

【彼所縁 同じ所縁をもう一度取る】

 

また眠りにつく

【有分 潜在的な心の流れ 離路】

 

 

うむむ、

眠っている間にも心の流れは生じていますよ、という程度の理解にしておきます。

 

大事なのは起きているときですね。

 

引用

私たちは起きている時間の間、強くかつ明瞭な精神的な活動が絶え間なく生じています。そして、これらの風の要素が継続して生じているため、私たちの内に硬さの要素が形作られていきます。私たちは、これらの事実を知るため、身体の姿勢を丁寧に、

「座っている、座っている、座っている」と念じる必要があります。これは身体の中のどこか硬くなっているところを探し、それを念じるということを意味しているわけではありません。この場合は、座っている姿勢全体に対してだけ、気づきを向けるようにしてください。言い換えるなら、これは胡坐を組んで座っている下半身の部分から、背を伸ばして座っている上半身の部分の双方を含む、全身に気づきを向けるということです。

 

 

ここで、マハーシ長老は、あっさりと「瞑想のコツ」をおしゃってます。

 

部分部分に囚われるのではなく、いま、自分が何をやっているのか?という事実を丁寧に知ることが大事なのだな、と思います。

 

 

ふだんの生活では・・・

 

ご飯を食べている時でも他のことを考えていたり・・・。

 

仕事中でも、まだ来ていない明日や明後日のことを考えて不安になったり・・・。

 

お部屋でお茶を飲んでて、過去のイヤなことを思い出して、イヤな気分になったり・・。

 

けっこう、今やっていることを疎かにして、勝手なことをやっているみたいです。

 

ですから、瞑想は、(うーむ、これを瞑想と言っていいのか、個人的には疑問なのですが・・)

 

まずは、「いま、ここで、やっている」ことに注意して気づきを向ける、ということですね。

 

まだまだ、マハーシ長老の「瞑想のコツ」のお話は続きます。

 

 

ある意味、「瞑想のコツ」が語られている本だと思います。